大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(う)321号 判決

被告人 大沢至

〔抄 録〕

以上のような法律解釈ならびに認定事実を前提に考察すると、被告人が自ら運転に従事していた昭和四七年一一月以前は、被告人自身が事業者兼運行管理者であったことは明らかであるところ、同年一二月初旬以降においては、仮に被告人の主張のように、被告人が運送業を妻にまかせ、実家の手伝いなどのため夜一〇時過ぎまで自宅を離れていて、本件無免許運転については現認していないものであったとしても、前記諸事情、特に被告人夫婦および斉藤の三人で遂行してきた従前の営業形態、内容、被告人が斉藤の無免許運転を了承した経緯、被告人の妻の仕事内容は従来から被告人の意思に反せず、その了解のもとになされてきたもので、昭和四七年一二月八日以降においてもその内容に特段の変化はみられないこと、その間被告人は毎晩帰宅していたものであるが、原審記録によれば、駐車場が自宅から五〇メートル程度の距離にあることや電話の前にカレンダーが掛けられていたことから、被告人がその気になればいつでも運行状態を十分に把握しうる状況であったと認められることなどを総合すれば、被告人は一時的に本件運行に関与する程度が低下したとはいえ、依然事業主であるとともに運行管理者であり、被告人の妻はその補助者に過ぎなかったものと認めるのが相当である。この点に関する原判決には事実誤認および法令適用の誤りはない。

次に、道路交通法七五条一項にいう「容認」とは、運行管理者が当該業務に関し車両等の運転者において同項各号所定の状態で車両等を運転することを認識しながら、これを禁止せず、その運転を明示的または黙示的に承認することをいうものであり、法の規定の仕方およびこのような運行管理者の義務違反をそれ自体として危険性の高いものとして処罰する法の趣旨からして、右容認にかかる無免許等の違法な運転がその容認の後何らかの事情により現実に行なわれなかったときでも、本条違反が成立し得ると解されるものであり、また、現実の無免許運転等の行為を運行管理者がその都度認識することを必ずしも必要とするものではないというべきである。またこのように解したとしてもそれが個人責任の原則に反するものとも考えられない。そして、前記諸事情からすると、斉藤勲の第一回目の無免許運転の日である昭和四七年一二月八日ころ、被告人が、自宅において、斉藤の前記申し出に対しそれ以後の無免許運転をも包括的に承認したものであることは明らかに認められ、これを目して被告人の容認行為があったということができる。ところで、原判決は、斉藤の各無免許運転に際し被告人はその都度自宅において当該運転を容認した旨認定しているもののようであり、これに副う被告人の捜査官に対する供述調書も存在するけれども、被告人は前記のとおり当時運送業から離れていたので各無免許運転の日時、運送場所等は知らない旨弁解し、被告人の妻も原審において同趣旨の証言をしており、その他原審で取調べた証拠を総合しても被告人が右各無免許運転を原判示の各日時ころにその都度具体的に了承していたものと認定するについては、なお、合理的疑いが残る。よってこの点の原審の事実認定には誤りがあるというべきである。しかし、原判決は昭和四七年一二月八日以降の無免許運転の各容認を包括一罪として処断しており、また、前段認定のように、被告人は昭和四七年一二月八日ころ自宅において本件無免許運転を包括的に容認したものと認められるのであるから、この点の事実誤認は判決に影響を及ぼすことの明らかなものとは考えられない。また、この点について原判決に法令の適用の誤りがあるものとも認められない。論旨はいずれも理由がない。

(高橋 千葉 中西)

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